菊地直子 かわいい顔して、最高裁の判決は無罪?

一般

オウム真理教による1995年に起こった東京都庁の爆発物事件で殺人未遂ほう助罪に問われていた元信者の菊地直子被告(46)が一審懲役5年の判決を受けていたが上告。

上告審で無罪を主張し、逆転無罪の判決が確定した。

ネットで菊地直子被告がかわいいという評判があるが、本当か?




目次

菊地直子 最高裁の判決は無罪

日本中を震撼させたオウム真理教の地下鉄サリン事件。

サリン事件と東京都庁の爆発事件にかかわったとされる菊地直子被告の逆転無罪判決が言い渡された。

菊地直子被告の逮捕後

菊地直子被告が関わったとされていたとされていたサリン事件は、事実は全く無関係だったそうです。

サリン事件、VXガス事件共に逮捕容疑がかけられていたが、処分保留になった。

しかし東京都庁の爆発物事件に関しては、は山梨県の施設から東京の八王子のアジトまで、爆発物の材料などを運んだ疑いで2012年に裁判が始まる。

「劇物などと記された薬品を運んでおり、薬品で危険な化合物が作られることを容易に想像できた」

「(教団施設への強制捜査などから)教団が追い詰められている状況にあり、教団が人の殺傷を含む活動をしようとしていると認識していた」

として懲役5年の判決を言い渡されたが、菊地直子被告側は判決を不服として、即日に控訴。

控訴審

菊地直子側の控訴審では無罪判決が下った。

が、無在判決に検察側が控訴していたが、最高裁は検察側の控訴を棄却。

菊地直子被告の逆転無罪が確定した。

菊地直子被告は、爆弾の材料を運んだことは確かなようですが、それが何に使われるかも知らなかったそうだ。

そして、自分が運んだもので爆弾が作られる、と言うことも全く知らなかったそうです。

当時のオウム真理教は、近い将来ハルマゲドンが来ると信じられており、そのために自給自足の農薬を作るのだろうという認識で、地下鉄サリン事件(実際は関わりがなかった)や東京都庁の爆発物事件の材料を運んだとのこと。




菊地直子が長期間逃亡していた理由

菊地直子被告が17年間逃亡していた理由に、爆発物の材料を運んでいた事実があるため、サリン事件に関しても「知らずに関わっていたかも」という認識があったため、逮捕を恐れて長期間逃亡していたそうだ。

逮捕に至った経緯

菊地直子被告が2007年からは、オウム真理教とは関わり合いのない一般男性と逮捕されるまで同居していた。

その同居男は菊地直子被告がオウムの事件の菊地直子とは知らずに同居していたそうでです。

しかし、逃亡中である菊地直子被告は、健康保険も持っておらず、同居人の男性が菊地直子被告が将来病気になった時の対応について、男性は家族に相談したそうだ。

同居男の親族は不審に思い、オウム事件の菊地直子であることに気が付き、警察に通報し逮捕に至った。

逮捕されたときに菊地直子被告の直近の写真が公開され、指名手配で公開されていた写真と別人のような顔に変わっていたことが話題になりました。

同居人の男性の親族も菊地直子被告とよく気が付いたものです。

菊地直子 かわいい?

ネットで菊地直子被告を調べていると、「菊地直子 かわいい」というキーワードが出現。

なんで?と思わず笑ってしまいました。

指名手配されて公開されていた写真はこれです。

そして逮捕後の菊地直子被告の画像がこれです。

 

かわいいか?

 

ブサイクではないと思いますが、逮捕後の菊地直子被告はどことなく、色っぽいかな?と思えますが。

幸が薄そうな女性や、影のある女性って魅力的に見えますからねェ。

まとめ

17年間の長期にわたって逃亡生活を送っていた菊地直子被告。

もっと早くに自首していればと思えますが、オウム事件のほとぼりが冷めやらぬうちに自首していたら、ひょっとして無罪にはならなかったかもしれませんね。

17年という時間で、オウム事件に対しての世間の熱も冷めていたことで、事件を冷静に振り返ることができたのかもしれない。

事件後、間もないうちに自首してたら、勢いでそのままサリン事件に関与していたことにされたかもしれません。

晴れて無罪が確定した菊地直子被告は現在どのような風景が見えてるんでしょうか?

逃亡生活の時に見えていた風景と、無罪後に見える風景は全然違うでしょうね。




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