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大杉漣さん急死
大杉漣さんがお亡くなりになりました。
21日の午前3時53分に急性心不全で急逝したことを所属事務所の公式ホームページで発表。
葬儀は、本人と家族の意向により親族のみで執り行うそうだ。
享年66歳。
あまりもの突然の死に驚きをかくせません。
まさか!!!!!
大杉漣さん
2日前にインタビュー掲載したばかりなのに….。
演じることは生きること: 日本経済新聞 https://t.co/Q8xh0hYbgh— 日経電子版広報部 (@webkanpr) 2018年2月21日
大杉漣さん、一昨日月曜の日経夕刊に記事が載ってたんですよ… pic.twitter.com/sMlN0A4qjU
— あっきー (@akkitormenta) 2018年2月21日
一昨日まで元気だったそうです。
本当に急死だったんですね。
北野映画での存在感は忘れられません。
ご冥福をお祈りします。
それにしても去年から今年にかけて著名人がよく亡くなりますよね。
なんか寂しくなっちゃいます。
大杉漣さんの若いの画像 昔はピンク映画に出演?
大杉漣さんといえば、今では名俳優ですが、下積みのかなり長い役者さんです。
大杉漣さんの役者の第一歩は、1973年、雑誌『新劇』に掲載されていた太田省吾の記事に感銘を受け、太田の劇団員募集広告に応募し研修生として採用されたのが最初。
同年の20歳の時に脇役で映画デビューされてます。
その後は舞台俳優として活動されます。
1980年になって大杉漣さんはピンク映画に積極的に出演し始めます。
1983年にはピンクリボン賞主演男優賞を受賞。
大杉漣さんは1988年までピンク映画中心に映画に出演。
それ以降はVシネマに出演して生活費を稼いだそうです。
1993の北野武監督の「ソナチネ」のオーディションを受けて合格。
この北野作品がきっかけで、ようやく長い下積みからの転機が訪れた。
1990年代はVシネマと映画の両方に出演してましたが、2000年以降は映画とドラマ中心に活躍。
それとバラエティにと時々出演されてましたね。
ざっと大杉漣さんの経歴を書きましたが、ピンク映画に出演していたのは驚きですね。
俳優の柄本明さんもピンク映画に出演されてましたよね。
大杉漣さんもピンク映画に積極的に出演して、大きなチャンスを得ようと努力されていたんですね。
尾藤イサオの若い頃の画像 娘の尾藤桃子ブログは更新されず引退か?
さて、そんな大杉漣さんの若い頃の画像がこちら
若い頃はこんな感じの雰囲気の人だったんですね。
俳優として成功しようというギラギラしたものを感じます。
ピンク映画の世界で活躍されていた時にピンクリボン賞主演男優賞を受賞するくらいだから、その当時から俳優としての才能は認められていたのだと思います。
そんな大杉漣さんを救いあげたのは、あの北野武監督だったとは、これも何かの運命なのでしょうね。
北野武監督も若かり頃は浅草のストリップで劇場で漫才をやっていたそうで、大杉漣さんに自分と同じ匂いを感じたのかもしれませんね。
最近の大杉漣さんは優しいおじさん、といった雰囲気の俳優さんでしたが、「ソナチネ」のオーディションの頃って、大杉漣さんも40歳を過ぎていたので、なおさらオーディションにかける思いも並々ならないものもあったと思います。
大杉漣さんが急死されましたが、まだまだやれたと思いますし、とても残念です。
例えば癌だとかそういう病気で亡くなったのなら、まだ納得はいきますが、一昨日まで元気だったことを思うとどうにも納得いきませんよね。
ご冥福をお祈りします。
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