俳優の志賀廣太郎さんがお亡くなりになったようです。
名脇役で有名な俳優さんでしたが、名前を聞いてもピンとこないのですが、写真を見ると「あー、知ってる!」ってなります。
2020年4月20日午後8時20分に誤嚥(えん)性肺炎で亡くなったそうです。
71歳でした。
誤嚥(えん)性肺炎ってあまり聞き慣れない病名ですよね。
誤嚥(えん)性肺炎とは
物を飲み込む働きを嚥下機能、口から食道へ入るべきものが気管に入ってしまうことを誤嚥と言います。誤嚥性肺炎は、嚥下機能障害のため唾液や食べ物、あるいは胃液などと一緒に細菌を気道に誤って吸引することにより発症します。吐物を大量に吸引した場合には胃酸による化学性肺炎を起こすことがあり、メンデルソン症候群と呼ばれます。
出典:https://www.jrs.or.jp/modules/citizen/index.php?content_id=11
とのこと。
肺炎ということだったので最近の例のなんたらウイルスが関わっているのかな?て思ったのですが違うようです。
志賀廣太郎さんは 2019年の春に脳梗塞で倒れました。
俳優業に戻ることを目標にリハビリを続けていたようですが、残念なことにその願いは叶わなかったようです。
品のあるおじさんっていう イメージで、若い女性からも結構人気があったようですよ。
名脇役ですからね、 脇役といえど存在感は大きくて、多くの人にとって名前は知らないけど顔はよく知っている俳優さんでしたよね。
すでに近親者でお葬式は済ませているそうです。
こういうところもなんだか志賀廣太郎さんっぽいですよね。
死に際まで名脇役と言うか・・・・
年配の俳優さんというイメージの志賀廣太郎さんの若い頃の画像って気になりますよね。
ネットで探してみました。
目次
志賀廣太郎の若い時の画像が結構イケメン?経歴もかなりヤバい!
こちらが志賀廣太郎さんの若い時の画像です。
面影がありますよね。
イケメンというわけではないですが、インテリという感じがします。
結構こういう男性って文系女子にモテるんですよね。
志賀廣太郎の主な経歴
志賀廣太郎さんは1948年8月31日に兵庫県で生まれました。
志賀廣太郎さんは中学、高校と演劇部に所属。
大学に進学して桐朋学園大学短期大学部で俳優の勉強をされていたそうです。
大学卒業後はすぐに役者の仕事に就くことはなく、 大学に残って助手の仕事をされていたそうで。
その後ヨーロッパの演劇に興味を持ちドイツに渡り演劇の専門学校に入学。
その後は日本人学校の国語の先生を務めていたそうです。
俳優というより俳優を学んでいる研究者という感じですよね。
その後当時交際していた女性と結婚するために帰国をしたそうだ。
そして1978年より母校の演劇科で非常勤講師をしていたようです。
その中の学生には女優の南果歩さんがいたとのこと。
南果歩さんも実力派の女優さんですよね。
志賀廣太郎さんからの影響もかなり強いのでしょうか。
志賀廣太郎さんが注目され始めたのが1990年代からです。
平田オリザが主宰する劇団「青年団」の舞台に共感して 1990年に平田オリザさんの舞台に出演。
そして1993年に正式に劇団員になる。
ずっと大学で教壇を取っていた人が四十歳過ぎにして本格的に舞台デビューしたわけですから、多くの俳優さんとは違った経歴の持ち主ですよね。
それまでは、現役の俳優というより大学の研究者、指導者だったわけですから。
46歳の時にアップルコンピューターのCMに出演しさらに注目を浴びるようになり、 それから俳優としてのオファーが多く舞い込んできて、 俳優の活動がメインになっていったようです。
その傍ら桐朋学園芸術短期大学演劇専攻非常勤講師も続けていたようですね。
研究者であり指導者であり、そんでもって現役の俳優なわけですから、バリバリですよね。
家は新百合ヶ丘の団地って本当?
ネットで志賀廣太郎さんの事を調べていると、「志賀廣太郎 家」、「志賀廣太郎 新百合ヶ丘」、「志賀廣太郎 団地」といったキーワードが出てきました。
そのあたりのことをちょっと調べてみましたのでまとめてみようかと思います。
三十歳頃に志賀廣太郎さんはご結婚されましたが、四十歳の時にその奥さんと離婚されているそうです。
それ以降は独身を通していたようですね。
住んでいたところも 神奈川県の新百合ヶ丘にある1970年代に建設された団地に住んでいたとのこと。
エレベーターもなく間取りは2 LDKのようです。
とても質素ですよね。
お一人で住むにはそれぐらいがちょうど良かったのかもしれないですよね。
しかし団地に住んでいる他の住人からすると、 テレビドラマによく出てくる人が団地に住んでいるわけですから、ちょっとした驚きだったでしょう。
その質素な生活があの独特な演技に繋がっていたのでしょうか。
派手な生活を送らず、庶民的な生活を送ることで名脇役の地位を獲得したのでしょうかね。
こういう地味なところがいかにも大学の非常勤講師という感じがします。
脇役として注目されて売れっ子になっても、大学の非常勤講師としての一面は消え去ることなく、根深く残っていたのでしょう。
志賀廣太郎さんの俳優の仕事も1990年代以降にぐっと増えてまして、テレビドラマに関しては2000年以降に急激に増えてきていて、俳優としては遅咲きの方だったようです。
テレビ東京のドラマ、「きのう何食べた?」は2019年の4月に脳梗塞のため途中降板しました。
ご本人もとても悔やまれたでしょうね。
その後はとある施設に入ってリハビリに励んでいたそうですが、復帰することなく誤嚥(えん)性肺炎で71歳という年齢で帰らぬ人になりした。
71歳というと最近ではまだまだ若いです。
まだまだ俳優として活躍できる年齢だと思うのですが、お亡くなりになった事がとても残念です。
ご冥福をお祈りします。
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